なかなか成績が伸びなかったのに、中学入試直前から入学試験本番の期間中にかけて、急激に問題を解く力を伸ばしていった子どもの言葉です。
何の科目を教えているときだったか忘れましたが、その子が明らかに効率の悪い方法・順序で学習していたのだと思います。
そのとき、そのやり方を改めさせようと強く指導したところ、目に大粒の涙を浮かべて、この言葉を発しました。
子どもには子どもの流儀がある
ことをつくづく感じます。
うちの塾にはなぜか頑固な子どもが集まる傾向があるような気がします。
子どもたちに言わせると、先生がそういう子を選んでるんじゃないの、ということらしいですが、そんな覚えはありません。
ただ結果として、自分流を持っている子どもたちにはなじめる環境なのかも知れません。
教える立場としては、長年蓄積したノウハウをもっと華麗に披露したいという願望はあります。
そして、こちらの予想できる範囲で行動してくれた方が安心してみていられます。
しかし、自分の流儀を持った子どもたちは、なかなか簡単にこちらの敷いたレールに乗ってはくれません。
私も質問されない限り教えないのが流儀です。
したがって、中にはあまり質問することもなく、勝手に勉強して勝手に志望校に合格していくものもいます。
結果を出される以上、こちらも方法論については何も言いようがありません。
落ちたら何と言おうか、考えていた
と合格報告をしに来たときに語ったのは、やはり頑固者の子どもです。
祝日以外はいつでも教室を開け、夜の9時半までは勉強できるのですが、入試直前まで遊ぶ時間を確保し、自分の予定がすんだらさっさと帰っていました。
「もう少し勉強したら?」というプレッシャーをはねのけ、入試日程も学校の社会科見学を優先するような猛者でしたが、やはり自分の行動の結果を引き受けるにはそれなりの覚悟があったのでしょう。
素直でいい子は危険です。
おとなは素直でいい子を求めますが、そもそも「素直でいい子」は「大人の期待通りに振舞える子ども」です。
子どもは、特に女の子はいくつもの顔を使い分けています。
親にはショックな話かも知れませんが、子どもたちは家庭でも決して本音を語ってはいません。
あくまで子どもとしての役割をはたしているだけです。
学校でももちろん、ニコニコしながら複雑な友人関係をこなしています。
それに受験の重圧まで加わったら、どこかで爆発しなければ心のバランスが崩れてしまいます。
受験はするけど自分のやり方でやらせてほしい
というのが子どもたちの本音かも知れません。
私もついつい、子どもたちが指示通りに勉強していないと、「受験する気あるの」などと言ってしまいがちなのですが、ぐっと我慢して、彼らの流儀を認めなければならないと思います。
確かに、受験を通して自分の力試しをしたい、という気持ちはよくわかります。
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